- 明和9年 1772
- 享和元年 1801
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次男であったため窯屋を継ぐことができず、
父吉左衛門とともに熱田前新田開拓に従事する染付焼の技術を津金文左衛門から学び、試し焼きのため瀬戸に戻る -
享和4年/
文化元年 1804 -
民吉、九州へ修業に赴く。東向寺の天中和尚の紹介で天草の上田家の窯場にて働く
- 文化2年 1805
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佐々(長崎県佐々町)の福本家の窯場にて働く
- 文化4年 1807
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1月7日
福本家に暇乞いする4月23日
国元より呼状がやってきたため平戸から上田家へ赴く5月13日
天草出立6月18日
帰国 - 文化5年 1808
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一代限り苗字を許され加藤民吉と名乗る
- 文政7年 1824
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5月
民吉の訴えにより、窯神遙拝所取立7月4日
死去